6月の関東同窓会の進捗状況が入ってきた。
今回、幹事学年なのでいろいろ大変なのだ。
記念大会なのでビッグネーム呼んで講演会するし。

遠方なので手伝えなくて心苦しい。
が、同期の面々に会えるのは楽しみ。

会場係でも受付でも宴会の盛り上げでもなんでもやりますとも。



そして気がつくのは、様々なわだかまりが消えていること。

執着も、羨望も。
果たして嫉妬も。


華やかな世界で仕事している風の同期も居た。
爆発的に美人になっていた(もともと整っていらしたけど)同期もいた。
くすんでいた同期も居た。
(まあ、同窓会にでてくるような人は、
人に合わせる顔がある、というか、幸せな人なのだよね。
トラブルを抱えていたり、不幸せな人はまず来ない)


わたしはいわゆるまあまあの学歴で、
在学中も、そんなに酷い成績でもなく
(中学生の頃はひっどかったけどねーwwwww)、
むしろいくつかの学科では人の記憶に残るタイトルホルダーだったりするんで、
しがない専業主婦生活が今まで恥ずかしくてならなかった。
それを揶揄されたこともあった。
(昔関わりのあった方がまさにそれを言った方で、
わたしはもう、彼女たちとはちゃんと関わる気はないのだ)


でも気がついた。

当時の彼女たちは、結婚して子どもがふたり、という、
いわゆる「クラッシックな女性の幸せ」を手にしていたわたしが
きっと妬ましかったのだろう、と。

女は、どんな生き方を選んでも、どこかで誰かに貶められ、
どこかで誰かに羨望される。


子どもを持っても持たなくても。
仕事を持っても持たなくても。
配偶者を持っても持たなくても。
恋人を持っても持たなくても。


彼女たちが、わたしに冷たい目を向けて、
あまつさえ鬱憤を言葉にしたのは、
わたしがもともと「言い返さない/言い返せない」からで、
そして、彼女たちは外に何かぶつけないとならなかったから。


許しはしないけど、理解はする。


ううん。


許しているのかもしれない。


ううん。


そんな羨望や嫉妬があったとしても、
そしてそれが羨望されるようなものではなかったとしても、
やはり、今立っているこの場所は、
今まで歩いてきた道のりの一番先であり、
自分がそれに気が付いてきたように、
彼女たちもそれに気が付いてきたのだ、と、

そう信じられるようになったということだ。


それは、前より少しは他者を尊重できるようになったということで、
寿いでよいのでありましょうよ。