忘れないうちに。

昨夜、「中国でのビジネスに挑戦する人々」を特集したクローズアップ現代を家族で見ていた。

そこで、自分の道を切り開いていく人々を眩しく見ながら、

「ああ、わたしは保守的で安定を求めるから、
ああいう方たちみたいにはできないなあ。怖くて」

と言ったら上息子高1が、

「ホントにそうなら、資格取って開業とか考えないでしょ?
ずっと主婦してるんじゃないの?」

と切り返してきた。


あー、そーか。

わたしの中には、実はそういうチャレンジできる人への憧れや、
そういったことへのプラスイメージが大きく存在するので、
省みて自分の動けてなさとか情けなさとか、
そういったものばかりが目につく鼻につくのだ。


「おかあさん、テレビ出たりとか、遠征行ったりとか、
全然大人しく安定志向じゃないじゃん。」

あー、ご尤も。


いっこ前の日記ともかぶるけど、
セルフイメージって、外に出して見ないと誤差に気がつかないことあるよね。


他者の評価がすべてではないけれども、
自分が向いている方向がわかったりするんだよね。


ってなことで、憧れの方向へ、
アグレッシブな方向へ、
向いてみるのも一興なのかな?


いや、まだ怖いw


(しかし、経済的な安定を考えたら、自分に収入の道がある方が
配偶者の収入に頼ってるよりずっと安定で保守だと思うな。
このトシから挑戦するのがどうよ?ってことだけで。
ありたい自己であることが最も心の安定でもあるさね)




そして、最近つくづく感じるのが息子の成長。
自分の高校生の時分とか思い起こせば、
文章も書きはじめていたし、
ざわざわと自意識のざわめきの毎日を生きていた。

彼も、「おかあさん」としてわたしを見るだけでなく、
「おかあさん、というポジションのとある人間」として
わたくしを見るようになりつつあると言うことだろうか。

無邪気に
「たーたん、くき(訳:おかあさん、好き)」
と言ってくれていた一歳の頃ははるかはるか昔だ。

わたしは彼に、大事なものを与えてやれただろうか。
やれているだろうか。